実録!
赤壁の戦い


曹操の退路

 

 ついに敗走していく曹操軍、演義ではここでも諸葛亮が曹操の退路を読み、張飛や趙雲らが先回りし、関羽が恩を感じて逃がしてやるという名場面が用意されているが、もちろんこれも正史にはない。それどころか、楽資の『山陽公載記』ではこんな記述が残されている。

 徒歩で撤退していた曹操軍はヌカルミにぶつかって、通り抜けが困難になった。そこで足の弱い兵士達に草を運ばせ、ヌカルミを埋め立てさせて騎兵を通した。この間、埋め立てに当った兵達は人や馬に踏みつけられて、泥に埋まり、息絶えるものが続出した。こうして何とか脱出した曹操は、大いに喜んだ。そのあまりの喜びように、諸将が訳を訪ねると、曹操はこう語った。
「劉備はわしと同等なのだが、ただちょっと計略が遅い。ここでもし先回りして火を放っていたら、我々は全滅していたに違いない」
 程なく劉備は追いつき、火を放ったが、時既に遅く、間に合わなかったという。演義での演出とは全く別であることが分かるだろうか?

 曹操は江陵に曹仁と徐晃を、襄陽に楽進を残し、自分はついに許都へ引き返した。連合軍は、これを追撃し南郡まで進軍、江陵の曹仁軍と長江を挟んで対峙した。両軍がまだ矛先を交えないうち、甘寧は後方の夷陵急襲を進言した。これを受け入れた周喩は甘寧に数百の兵を率いさせ、夷陵に向かわせた。甘寧は僅かな兵で期待に応え、夷陵奪取に成功する。しかし曹仁はすぐに歩騎を分けて別働隊に甘寧を攻囲させた。曹仁軍は連日攻勢をしかけ、高い櫓を設けて城中に矢を射込ませた。状況が状況ゆえ、甘寧の兵達はみな大きく慌てたが、甘寧は冷静に急使を出して周瑜に状況を報せ、泰然自若として談笑を続けていたという。

 一方、周喩本陣の諸将たちはとても救援に駆けつける余裕はないと反対している。そんな中、周喩にこう進言した者がいた。
「凌(統)公績を留守に残し、将軍と私が一緒に行きましょう。囲みを解いて彼を救うのにさほど時間は掛かりません。公績も十日は維持できます。これは私が保証しましょう。また、それとは別に三百人ほど兵を出して、道の険しい所に障害物を設置しましょう。敵が逃げる時、その馬を捕獲できます」

 後に、周喩や魯粛の後を継ぐべき男・呂蒙だった。


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