実録!
赤壁の戦い


劉備と周喩

 

 両軍はついに烏林にて対峙する。孫権は周喩と程普に一万の兵を授けて出陣させた。
 劉備は魯粛の戦略に従って、樊口に駐屯していた。そうこうする内に曹操南下の知らせが伝わり、気が気ではなくなり、毎日見張りを長江のほとりに立たせて、孫権からの援軍を待ち望んでいた。そんなある日、見張りの兵から援軍到着の報告を受ける。

 さっそく劉備は部下を派遣して周喩を慰労に招待した。ところが周喩は、
「部署を離れるわけにはいきません。劉備殿ご自身でおいでなら、いつでもご好意を受けましょう」
と返した。劉備は孫権と組んだ以上、同盟の趣旨に反すると考え、小さな船に乗って周喩を訪問した。
「よくぞ来てくれた。これで曹操がいつ攻めて来ても、安心と言うものだ。ところで軍勢はいかほど?」
以下、劉備と周喩のやり取りを『江表伝』より。
「三万人でございます」
「え?それはいささか少ないのでは…」
「いえ、三万で充分です。劉備殿は、私が曹操を打ち破るのをごゆるりとご見物下さい」
「ここは一つ、魯粛殿も呼んで、ゆっくりと語り合いたいものだが」
「一旦軍命を受けた者は、いかなる事があろうとも部署を離れるわけにはいきませぬ。もしお会いになりたければ、ご自分からお訪ね下さい。」

 つまり劉備は僅か三万の軍勢では、あの曹操軍に太刀打ちできるはずもない…と考えたのだ。そして、信用できる魯粛を呼び、その訳を訪ねようと考えた。この周喩の立派な軍人ぶりに劉備は惚れこみ、自分の申し出を深く恥じたという。それでも劉備は、この軍勢で曹操軍に勝てるとはどうしても思えなかった。そこで関羽と張飛に共に僅か二千人の兵を授け、彼らの後方に待機させ、周喩の軍と合流する事を避けた。戦況を見て、こちらの出方を決めようと考えたのである。曹操軍の本当の強さを幾度もの敗戦で熟知している、劉備ならではの作戦なのか?
 ちなみに裴松之はこの説を真っ向から否定しているが、確かに蜀書のどの伝を見ても、赤壁の戦いにおいて、どんな活躍があったのかという記載は一切ない。


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