実録!
曹操の呂布退治


翻弄される虎

 

 曹操はまず虫の息だった袁術を攻撃した。呂布はここでもなぜか袁術の方に味方する。一方劉備は曹操の命を受けハイに行き、そこで散り散りになった兵を集めていた。さらに曹操から兵糧の援助を受け、東に向かい呂布を攻撃している。呂布はこれに対して、配下の高順を送り、劉備を退けさせた。曹操は夏候惇を劉備の援軍にやっているが、それでも高順は退かず、逆に張遼と共に劉備の妻子を再び人質にとって大勝している。198年10月ついに曹操は自ら東征し呂布討伐に向かった。
 曹操は下ヒに着くとまず呂布に手紙を送ってどちらに味方するのが得策か説いた。呂布はこれを見て投降しようとしたが、陳宮がこれに反対した。曹操の攻撃は日に日に激しさを増そうとしていた。観念した呂布は城門の上から叫んだ
「皆の衆、そう苦しめんでくれ。こっちから盟主の下に自首するから」
 陳宮はこれに対して
「今降伏するのは卵を石にぶつけるようなものです。そんな事で身を全うできる事が叶いましょうか」
 と言ってこれを諌めている。
 呂布は使者を出して、袁術に救援を求めた。袁術は恩も忘れ、これに応えようとしなかった。しかしその時の使者だった許シ・王カイが袁術のことを『明上』と皇帝を呼ぶ呼称で呼んだ為、これに気を良くし、援軍を派遣している。それでも呂布が満足出来るほどの救援を送る力は既にこの時にはなかった。ちなみにこの時、袁術が以前娘を嫁を出さなかった事を根に持ち、援軍を送らないのでは…と考えた呂布は、娘を綿でくるんで馬の背にくくりつけ、夜中に自ら袁術まで届けようとした。しかし曹操軍の守備兵に見つかり矢を射られたため、通る事ができずに城に戻っている。

 さて戦況の方は瞬く間に迫ってきた曹操軍を呂布自慢の騎兵隊が迎え撃ったが、曹操軍に壊滅され、数々の武将を捕虜にした。ついに呂布は篭城を決め、守りを固めた。その内、陳宮は呂布自ら騎兵を率い、曹操の糧道を断つよう進言したが、留守を任せようとした陳宮と高順が仲が悪かったのを心配した呂布の妻が反対し、呂布はこれを実行しなかった。この呂布の妻がどういう人物なのか調査不足だが、この後も彼女は顔を出してくる。


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